2008年07月24日
階段を一歩上がるか

駅に向かう途中にある階段。
見ると、へこたれるので、ここは通りません。
でも、この坂を上っているのは確かなんだよな〜(涙)
この階段みたいに、見ないようにしていても、ちゃんと実行していることがある。
ダメなことをやってしまってることもあるし、同じくらいの確率で、いい事をやってしまっている。
そういうことを、イチイチ気づくようになってしまいました。
気づいたってね、やってることに変化があるわけではないのだけれど、自分の標高(笑)が分かるってことが、不思議な感覚ではあります。
その標高で言うと、どうやら、私は次のプラットフォームに上るつもりらしい。他人事みたいだけど、他人事のように自分のことがよく分かるってこともあるのでした。
アキ・カウリスマキ監督が「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」で、唐突に登場したとき。昔々ですね。フィンランドって国について、初めて気がついて、自分内北欧ブームが始まったんですけどね。
アキ・カウリスマキ監督の映画って、登場人物は全然笑わない、特にラッキーなことも起こらない(どちらかと言うと不幸)、成功もしない、で終わります。
なんだけど、ものすごくユーモラスな映画ばかりで、見終わった後に幸せな気持ちになれる。
ずっとその理由について考えたことはなかったんだけど、ふと気がついた。
なぜ幸せな気持ちになれるかって言うと、幸せな気持ちになれる映画は全部そうなんだけど、
監督がこの世の中を信じてる
ってことなんだと思う。
「信じる」とか書きましたが、自分にとって、信じることはこれほど幸せなことなんだな〜と知りました。
まぁ最近、のたのたした文章ばかり書いてるわけですが、信じるか信じないかは自分が決めることで、自分が「信じる」と決めて生きる方が全然幸せなんだな〜と。
アキ・カウリスマキは「信じる」と決めて、映画を撮っているんだなぁと、思ったわけです。
彼の映画を見てもらうと分かるんだけど、世の中で言われるような「成功」とか「コミュニケーション」なんて、まったく何の関係もありません。むしろ、表面的には、能面のように無表情で無口、なおかつ不幸な登場人物たちが、何の事件らしい盛り上がりもなく淡々と過ごすのみ。
親しい友人は死ぬし、お金はなくなるし、仕事も記憶も愛も見事になくなっていきます。
だけど、不幸や幸せってソコじゃないみたい・・・・・・と思ってしまう。
私は、信じることが幸せに近いんだなぁ。たぶん。
と思ったのでした。
信じたら、階段を一歩上がれるんだ、ってことまでは分かった。(って誰に報告してるんだか)
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